歴史や国際社会の構造から思うこと
人は成長するにつれ、色々な変化を経験する。
変化とは内的変化と外的変化があり、自分自身がその変化に気づくのは主に外的変化だろう。
幼稚園や小学校に通うようになり、新しい友達や先生との出会い、転校をすれば新しい学校に全く違う印象を持つだろう。
大学生で一人暮らしを始めればそれもまた、新しい生活だ。
社会人になれば社会的地位という内的変化だけでなく、そのステータスにより外部からの信用や社会に対する責任なども大きく変化するだろう。
そのように外部が変化していき、社会の中で生活をする自分自身はその変化を感じる。
1.日本人の在り方
海外に来て思うことは日本人は所属する組織のルールに従うことが組織の人間としての最重要事項のように思われる。
学校の校則や地域・マンションのルール、法律に始まり、地域の風習など自分が新たに所属することになった組織のルールがどのようなものであるのかを探り、そして従う。
新しい組織のルールに戸惑いを感じたとしてもいきなり異を唱える日本人は多くないだろう。
仮に転校生や新入社員が初日から「違い」を主張したとすれば間違いなくのけ者にされる。
2.社会とは
ここで挙げた学校や会社、地域社会は人間の経験よりも長い歴史を持っており、また、多くの人が関わってルールが形成されてきた。
ルールができた背景は様々な出来事・要因があり、新たな人が短期間でそれらを全て把握し、ルールを修正をするのには無理だろう。
社会や組織は個々人が一朝一夕で成し遂げないことを時間と経験を重ねて徐々に作り上げていく。
と、日本人なら潜在意識の中で考えるのではないだろうか。
そして日本は世界と比べたときにそのような社会・組織の変化の度合いやスピードが小さいように思う。
色々な国籍の人間が組織に入ってきたり、あるいは出て行ったり、所属している会社を数年で変えてしまうというのはまだまだ日本人にとっては馴染みがない。
そのため、新しい人が持っている知識や経験はその組織や社会が蓄積してきたものと比較すると小さく、ルールの変更を判断するのに十分な情報を持っていないといえる。
3.変わりゆく社会で起こってきていたこと
一方で海外に来て思うことは組織や社会は少なくとも日本よりも大きな度合で変化している、ということだ。
特に人の入れ替わりが激しく、市場の変化も大きいと思われる欧米の会社はたとえ会社の創業が古かったとしても会社の中にいる人はせいぜい数年の職員ばかりで、会社の理念や長期目標、社会的意義などを日本人ほど真面目にに考える人はいないだろう。
彼らは変化に対応し、自分たちが生き残るために必死に答えを探すのだ。
それは1年後、2年後の会社のためであったり、もう少し長い目で見た自分のキャリアだったりするのだろう。
だから新人であっても所属する社会や組織に遠慮はないし、判断に必要な要素というのも限られているように思われる。
4.我々は何をすべきなのか
組織や社会の属性が違うにも関わらず、不変を信じる日本人が放り込まれたらどのように考えるか。
「自分は新しい人間だから判断するのに十分な情報・経験がない」
「組織のルールに従おう」
「新人は黙っているべきだ」
そうして被支配層に成り下がる。
一方で欧米の人間は新人であってもそのような遠慮もないし、組織や社会も熟慮されたルールもない。
発言してみて、議論して、それが合理的だと思えばあっさりと採用してしまうのだ。
ルールを作る側と従う側の違いが見える。
もちろん、そんな欧米人が日本の社会でそのように振る舞えば日本人は反発するだろう。
そして少なくとも彼らの短絡的な提案は長い歴史と様々な要素で練り上げられた日本の社会への適切な解とはならないだろう。
これはあくまで日本において日本人が考えることだ。
しかし、変化の激しい外の世界ではルールに従う日本人はルールを変える人たちに翻弄され続ける。
これで良いのだろうか。