東京、バンコク、ロンドンに続いて次の町はパリ
ロンドンでの3年間を終え、東京に戻る時、もうヨーロッパに来ることは当分ないだろう、なんて考えていたが現実は再びヨーロッパの地を踏むことに。
■バンコク→東京→ロンドン→東京を経験してよかったこと
3年間のロンドン生活の後、わずか2年の東京暮らしではあったが非常に濃い2年間だった。
東京の良さを再認識できた期間であり、躊躇することなく、日本の良さを満喫しようという気持ちで日々の生活を送ることができた。
■ロンドンへの郷愁
日本の生活への安堵と慣れに浸る一方で日に日にロンドンの歴史と文化に溢れた環境を思い起こさせられた。
愛すべき公園、誇り高き街並み、歴史と文化を感じる美術館・博物館。
正直、辛かったことの方が多かったが、人間とは都合よく辛い思い出は忘れてしまうようだ。
■日本でのキャリア志向
良きに悪しきに日本の伝統的大企業は終身雇用。会社=人生最大のコミュニティであり、それはすなわち社内での居心地の良いポジションを探してしまうのはある意味自然なことだろう。
特にロンドンはいわゆる本社から来た駐在員ではなく、完全な非日系への派遣。上司も同僚も日本人はいない。簡単には言い表せない壁を感じた。避けることができるのであれば・・・
ダーツは再びヨーロッパへ
挑戦と守りが共存する中で自ら一歩踏み出すことは非常に勇気が必要なことだ。
20年の会社人生でよかったと思えることの1つが、自分のキャリアに対して希望は示せる一方で組織に所属している以上は意思決定とその責任は会社に委ねることもできる。
正しい姿勢だとは思わないが、自分の限られた経験・知識での意思決定が大局的に正しいと言えるのか、についても疑問がある。
自身のキャリアにおいてMBAや業界団体への出向、海外駐在・派遣や本社の企画部門・主管部における経験は少なくとも学生時代あるいは社会人になって5年・10年のタイミングで思い描いていたものではない。
当時もそれなりにキャリアへの希望はあり、それが素晴らしいものであると思い込んでいた。
もし仮に当時の希望が叶えられていたとしたら自分はどういうキャリアの山を登っていたのだろうか。
少なくとも自分のキャリアにおいて会社は自分の背中を押してくれた、と感謝しかない。
辛いこともたくさんあったが、それらは人生の良いスパイスとなった。
花の都パリに行くのも悪くないはずだ。